Home » Archive

Articles tagged with: 昭和の写真

Featured, 僕の昭和ノート, 昭和の写真(町並みと風景) »

[ 2011年 10月 19日 | No Comment | 1,329 views]
昭和55年の金華山神社(上山市)の祭り光景

昭和30年頃、「三角ベース」という野球が流行っていた。ピッチャーが投げたワンバウンドの軟式テニスボールを拳で打つのであった。
三塁がないので塁(ベース)が三角形になるのだ。何しろ狭い神社の広場でプレーするのでいろいろなトラブルが生じるのである。
大きなフライを上げれば松の木のてっぺんに引っかかって落ちてこなかったり、塀を超えて民家の屋敷内に入ってしまったり子どもながらもぺこぺこ頭を下げて取り戻してもらったり、ホームランを出せば堰(ドブ)を超えて田んぼの中に入ってしまう。
球を探すのに容易ではなく、試合も一時中断する。
一番嫌だったのはキャッチャーがエラーをすると、これも民家の外便所の肥溜めに落ちてしまう。
棒切れ2本で拾い上げるのだが不安定なため、何度も落っこちる。
そのまま使うことができず、水洗いするのだが臭いが取れない。それでも我慢して再試合をするのだった。
でも僕ら“ガキペラ”にとっては楽しい遊びだった。

(写真は、昔遊んだ近所の金華山神社のお祭り:昭和55年5月5日)
投稿者:Sakurai Kazutoshi
shakuhachi@hotmail.co.jp

Featured, 僕の昭和ノート, 昭和の写真と思い出, 昭和の写真(建造物) »

[ 2011年 8月 26日 | No Comment | 3,091 views]
トキワ館 (上山市新湯通り)

昔、上山市には、2軒の映画館があった。
もう一軒は、駅前通の「国際劇場」である。
まだテレビも無い時代、我が家では、家族みんなで年数回は映画を見た記憶がある。
映画好きの私は、国際劇場では、よく他の家族の一員になりすまして中にタダで潜り込み、
ひとりで映画を何本も見た。
家から近かったせいもあるが、散歩がてらに映画館にもぐりこんだものだ。

中学、高校となると、潜り込むこともならず、金を払って見たが、よく行くようになったのは
トキワ館の方である。
ここは、二階が畳敷きになっていて、脚をのばして寝転びながら映画を見ることが出来るという
きわめて癒される珍しい空間なのであった。
しかし、その分、いびきをかいて寝ている者や、またはアベックで怪しげな行為をしていると
いう魑魅魍魎ともいえる世界でもあった。
国際劇場はTVの時代に入ってから、ずっと前に閉館され、建物のかけらも残ってないが、
トキワ館の方は、映画館はもう二十数年前に閉館になってはずだが、建物だけは今も上山市の
新湯通りに、当時の面影を残して建っていた。
この建物も、いずれ壊されるのであろうが、こうして、地方の町から映画館の歴史は消えていく
のである。
トキワ館は、私の青春時代の、一ページでもあるのです。

Featured, 昭和の写真と思い出, 昭和の写真(町並みと風景) »

[ 2011年 7月 3日 | No Comment | 1,103 views]
芦ノ湖の遊覧船(昭和38年)

神奈川県箱根の芦ノ湖畔の写真です。箱根神社の赤い鳥居の周辺光景です。
左手前に写っているテントが私が建てたテントです。
芦ノ湖に浮かぶ観光船も時代を感じさせますね。
学生帽をかぶった高校生。そんな時代でした。
湖畔のベンチに座る親子の洋服も、その姿も時代を感じさせます。

Featured, 昭和の写真と思い出, 昭和の写真(暮らしと家族) »

[ 2011年 7月 2日 | No Comment | 1,124 views]
火鉢のある光景(昭和31頃)

昭和中期頃(昭和40年)までは、どこの家にも火鉢がありました。
田舎に行けば、囲炉裏がまだ見受けられたものです。
この火鉢に炭を熾(おこ)すことから、朝がはじまるのでした。
夜は、炭火を消さずに、灰を上にかけて、熾き火として残しておきます。
冬もコタツのほかは、この火鉢だけでしたから、ほとんどの人は寒さと冷たさで、シモヤケになったものでした。
でも楽しい思い出もあります。
それは、餅を焼くときです。
また、灰ならしというゴテと呼ばれるものがあり、それで波模様に灰をならして遊んだのも楽しい思い出となっております。
家の中にも、猫がいるのが普通で、この家の障子戸にも、猫の抜け道があるのが面白いと思います。

Featured, 昭和の写真と思い出, 昭和の写真(学校と行事), 昭和の写真(暮らしと家族) »

[ 2011年 7月 2日 | No Comment | 3,219 views]
昭和31年頃の運動会応援席

山形県内の、ある小学校の運動会での、応援にかけつけた家族席の写真です。
グランド脇の草の生えた斜面が応援席でした。
当時は、何も楽しみがなく、学校の運動会は、町もにぎわうほどの大行事だったのです。
むしろやゴザを持ち、昼弁当や飲み物などを持ち、家族で応援にかけつけました。
昭和31年頃の写真ですが、おもしろいのは、ほとんどの人が風呂敷に包んで持ち運んでいたことです。
もんぺ姿も普通で、中には、着物姿も珍しくありませんでした。

昭和の写真と思い出, 昭和の写真(暮らしと家族) »

[ 2011年 7月 2日 | No Comment | 1,031 views]
兄の初めての里帰り

昭和40年頃の写真です。
高校卒業後、兄は山形から横須賀の海上自衛隊学校に入隊しました。
その卒業後、青森県の大湊に配属されましたが、その途中に里の山形へ帰ってきたときの写真です。
従兄弟で、同級生でもあったKさんの自宅前での写真です。
この写真には、思い出が強くあります。兄の話です。
横須賀から、東北の山形まで、この制服で汽車に揺られて来たそうなのですが、山形に近づくにつれて、この制服が目に付くのか、他の乗客からじろじろ見られたそうです。
兄は、自分が自衛隊員だという意識が強くなってしまい、変は格好は見せられないと思い、結局、10時間も立ったまま、座らずに山形まで来たそうです。
もちろん、わが家族も、いや、町内の人も、海軍服を着た人を見たことはなかったので、非常に珍しい思いで、兄を見回したものです。
責任感の強い、そういう兄でした。
その兄も、今はもういません。

僕の昭和ノート, 昭和の写真と思い出 »

[ 2011年 7月 2日 | No Comment | 872 views]
店の前で家族の写真(昭和30年頃)

戦前、父は樺太で警察官をやっていた。
その父は、引き揚げ後、警察官を辞めて、商売をはじめた。
それが牛乳店である。
この写真は、その牛乳店の前で撮った昭和30年頃の写真である。
牛乳店をはじめて2年後くらいの写真だ。
当時の父は44歳頃。母は38歳である。