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アルバムの中の昭和 「踏切編」(昭和30年代頃)

2011年 10月 20日 4,499 views No Comment

その① 私の実家は上山駅付近にあったので、矢来の踏切に汽車をよく見にいった。
特に貨物列車の連結作業が面白く、飽きずに眺めたものだ。
停止しているとき機関車に乗せてくれるよう何度もお願いしたがいつも断られた。
ある時、もう顔なじみになっていた運転手が「一回だけだよ」と私の友人と二人を機関車内に乗せてもらえた。

(写真は、上山市矢来二丁目の踏み切り:昭和50年代中頃)

有頂天になって乗り込むと、見たことがない運転席の周りの複雑な構造にびっくり仰天。幸いもう一回の連結が残っていたので、動く機関車に乗れたのだ。
私は石炭をボイラーにくべる作業を手伝い、友人は鎖の綱を引っ張ると「ボォー!」と汽笛が鳴った。
機関士と一緒に二人はレバーを引っ張ると機関車が徐々に動き出した。
何とも言えない戦慄に胸がときめいた瞬間であった。
翌日学校で一部始終を誇らしげに級友に語って聞かせた少年時代。

その② 上りの貨物列車が上山駅から出発して矢来の踏切を渡り終えるまでには、多分3~4分を要しただろうか。
踏切の遮断機が下りてきたところに丁度三輪トラックが到着し停止した。
その運転手は機関車のドラフト音(シュッシュッポッポ)に合わせてクラクションを鳴らし始めた。腹いせかそれとも退屈しのぎだったのだろうか?・・・・・

その③ 例の踏切で怪事件が起こった。
何でも小型三輪ミゼットに運転手が乗ってないのに踏切を通過して行ったというのだ。
このことが矢来三丁目の人々の話題となり、“無人の三輪ミゼット”の目撃情報があちこちから持ち上った。
当時「透明人間現る」という映画が上映されていただけに人々は恐怖に慄いたことだろう。
後日、真相は近所に住む背の小さい中学生であることが判明した。

その④ 例の踏切に手動の遮断機(木製の長い棒)が上下線側にそれぞれ1本ずつ取り付けてあった。
一方の遮断機に連動し他方もそれに伴って動く仕組みになっている。
踏切番(上山駅員)二人が交代で仕事をしていた。
その一人に右腕が無い踏切番がおり、よくも片手であの力仕事をやってのけたものだと感心する。
棒につかまって持ち上げられたことがあり、叱られたこともあった。

(写真は、上山市矢来二丁目の踏み切り:昭和50年代中頃)

■投稿者:Sakurai Kazutoshi
shakuhachi@hotmail.co.jp
(「@」は全角にしてあります。)

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