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昭和の写真(建造物)

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[ 2011年 11月 16日 | No Comment | 1,370 views]
【外国人カメラマンが見た戦前の日本】-YouTube映像

アルバムの中の昭和というわけではないのですが、多くの日本の古い写真や映像は、ほとんどが外国人によって撮影されたものが大半です。
そんな中でも、動画はより貴重で、それらがけっこうYouTube上に公開されています。
今回の映像も、その一つで、とりわけ身分に関係なく、上は総理大臣から、下は町角や農家の家屋まで、多くの映像がまとめられていると感じました。
これだけうまくまとめられた映像も珍しいと思うと同時に、感動も覚えました。

それから、見ていて気づいたのですが、日本人の履物は、ほとんどが下駄でしたね。
舗装という技術が日本に無い時代は、道路は土でしたから、雨が多い日本では、高床式のような履物が似合ったのだと思いました。
貴重な昭和初期の映像の記録として、多くの人に見て欲しいと感じましたので、投稿します。

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[ 2011年 11月 15日 | No Comment | 4,147 views]
トニーザイラーが見た昭和34年の上山小学校-上空写真

トニーザイラー氏が初来日して、松竹映画「銀嶺の王者」ロケーションのために蔵王スキー場へ来ることになったとき、山形県蔵王スキー場に入る前に、麓にある温泉町、上山(かみのやま)温泉の旅館に泊まった。
昭和35年(1960)の撮影とあるから、その年の冬1月か2月の頃だと思う。
当時、私は上山小学校の5年か、6年生だった。
その上山小学校のグラウンドに、ヘリコプターが舞い降りて、その中から降り立ったトニーザイラー。
当時はもう世界的に有名人で、学校内でも知らない人はいない状態だった。
待ち受けた市長が花束を渡して握手する。
校長も握手して挨拶し、その後に、全校生徒代表として、振袖姿の和装で、花束を渡したのは、同級生で、トニーザイラー氏が泊まる旅館の娘さんの原田さん。
その後、原田さんは、2千3百名の全校生徒代表として、ヘリコプターに乗って学校上空を旋回したでした。

ヘリコプターを目の前に見たのも初めてだった私は、その轟音と迫力に気圧されながらも、原田さんを羨ましく思って眺めた記憶がある。
トニーザイラー氏も、原田さんも、こんな上山市内と、上山小学校の姿を上空から眺めたのでしょうね。
その当時の写真が、アルバムの中から出てきたので、スキャナーでPCに取り込み、「アルバムの中の昭和」に投稿してみることにしました。
53年前の写真です。
学校はもちろんもうかなり前に改築されていて、当時の姿ではありません。
でも、学校の周辺も含めて、時代を感じさせる貴重な記録映像となりました。

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トニー・ザイラー。オーストリア出身、1956年イタリア・コルティナダンペッツォ冬期オリンピックで、回転、大回転、滑降で金メダルを獲得し、アルペンスキーで史上初の三冠王になった。
その後、甘いマスクで俳優になり、「黒い稲妻」(58)、「白銀は招くよ!」(59)、「白銀に踊る」(61)など、スキー映画に主演して人気を博すとともに、世界中にスキーブームを巻き起こした。とくに、「白銀は招くよ!」の主題歌は大ヒット曲となり、日本国内にもスキーブームを招いた。
昭和35年(1960年)に松竹映画「銀嶺の王者」ロケーションのため蔵王温泉を訪れ約1か月間滞在し、蔵王の魅力を国内外に広めた。
2009年8月24日、オーストリア・インスブルック市で73才の生涯を閉じる。
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◆2011年10月28日、「トニー・ザイラー氏」の顕彰碑が、山形県蔵王温泉スキー場・パラダイスゲレンデ内に建立された。

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[ 2011年 8月 26日 | No Comment | 3,118 views]
トキワ館 (上山市新湯通り)

昔、上山市には、2軒の映画館があった。
もう一軒は、駅前通の「国際劇場」である。
まだテレビも無い時代、我が家では、家族みんなで年数回は映画を見た記憶がある。
映画好きの私は、国際劇場では、よく他の家族の一員になりすまして中にタダで潜り込み、
ひとりで映画を何本も見た。
家から近かったせいもあるが、散歩がてらに映画館にもぐりこんだものだ。

中学、高校となると、潜り込むこともならず、金を払って見たが、よく行くようになったのは
トキワ館の方である。
ここは、二階が畳敷きになっていて、脚をのばして寝転びながら映画を見ることが出来るという
きわめて癒される珍しい空間なのであった。
しかし、その分、いびきをかいて寝ている者や、またはアベックで怪しげな行為をしていると
いう魑魅魍魎ともいえる世界でもあった。
国際劇場はTVの時代に入ってから、ずっと前に閉館され、建物のかけらも残ってないが、
トキワ館の方は、映画館はもう二十数年前に閉館になってはずだが、建物だけは今も上山市の
新湯通りに、当時の面影を残して建っていた。
この建物も、いずれ壊されるのであろうが、こうして、地方の町から映画館の歴史は消えていく
のである。
トキワ館は、私の青春時代の、一ページでもあるのです。